2010年7月25日日曜日

男体山1回目


職場の先輩と男体山に行った。
先輩は登山経験豊富な人で、いろいろアドバイスをいただいた。

思っていたより過酷だった。
太ももが痛くなったり、膝が笑うようなことはなかったが、往復で6時間で疲れた。
岩場は神経をかなり使う。
マラソンだと縦方向の動きばかりだが、登山は左右にも揺れるし、瞬間的なバランスが求められ,普段使っていない筋肉が働いた。
雨が降る予報の中、降られずに下山することができよかった。
雨が降ったら岩場が危険すぎる。

街遊びがいかにくだらないものか知った気がする。
登山の方が面白い。
最高のアトラクションだし,景色も良い。
昨日も登山雑誌を立ち読みしたが、山の世界はかなり私を魅了してくれた。
いつの日かアルプスとか行ってみたいと思う。
自然と触れ合うのは人としてというより、生き物として真っ当なことだと思う。

2010年7月22日木曜日

7月トレーニング

ジムをやめてから雨の日が続き、走量が減ったが、先週と今週は結構走っている。

次の日曜日には男体山という山を登る予定。
そして8月1日の日曜には男体山登拝講社大祭に参加。
2週連続、男体山。
仮想富士登山、完璧。

2010年7月18日日曜日

何するかな

先週は告別式,結婚式の二次会で忙しかった。
結婚式の重要さが今ひとつ理解出来ないが,人間の営みは出会いと別れから成り立っているので,葬儀は大切だ。

冠婚葬祭は人生を考えさせる。
未だに自分はどうやって生きようか検討がつかない。
どう生きてもいいっていうのが悩みを膨らませる。
私はレールの上を歩く人生で構わない。
レールの上を歩きながら、どう楽しむかは自分で見つけられる。
ただ、どのレールを歩けばいいのか、歩きたいと思っているのか自分にはわからない。
希望するものはあるのかもしれが、実生活に合わないものだと自らひていしてしまう。

単純に考えるのがいい。
文章で整理できるほど、答えは特定できない。
とりあえず、羅列するしかない。
気になることは別にして、興味がありそうなものをあげてみよう。
・文学作品の読書
・ヘヴィ・メタル
・マラソン
・将棋
・料理
・登山
・アニメ
将棋以外は一人でできるものばかりだ。
夏なんかは外に出たいと思わない。
扇風機の風をあびながら,読書でもしているのがいい。
とにかく人とワイワイ楽しく生きていく自信がない。
忙しない生活を送っていたら、人生の真実に辿りつけると思えない。
引き篭っていても頭の中で考えるのみで,真実を確かめられない。
考える時間と実践する時間の両立。
私は一人でゆっくり考えてしまいがちな傾向。
一人でいると落ち着く。

2010年7月10日土曜日

料理

おひとり様の本を読んだせいか、ふと介護について考えてみた。
介護の現状が大変なのは知っているが、自分の親の介護はあまり考えたことがない。
まだ先のことに思えて、考えようがない。
でも考えて、1つはっきりしたことがある。
コンビニ弁当を親に食べさせるのは避けようと思った。
親の健康や好みを一番気にしてあげられるのは自分なんだと知った。
親に食べさせる食事くらい料理できないと、まずいだろうと思う。
てなわけで、料理本を借りた。
学生時代、一切、料理はしなかった。
料理といったら家庭科の授業くらいだ。
工作的作業は好きだし、得意だから、包丁の扱いにはすぐ慣れると思う。
問題は、味付け。
味の想像が全くできない。
料理ってあまりにも創作的要素が大きすぎて、とんでもない料理になり得る可能性が高い。
料理って難しいと思う。
冷蔵庫に残った材料からメニューを考えるのはもっと大変だと思う。
クリエイティブな思考の連続。

2010年7月4日日曜日

非日常

昨日は、組合活動で地引網を体験し、今日は一人で登山をした。
海と山。
大勢で過ごした昨日と自分ひとりの今日。

鳴虫山という山を登った。
ガイドブックの記載内容より、過酷な思いをした。
途中、激しく雨が降り、石や木の根で滑り危なかった。

クリームパンを食べながら、登っているとき「暢気だな」と感じた。
一人でこんなことしているのって、贅沢だとも思った。
独り言発しながら、登山している年配の人がいたが、自分もいずれああなるのだろうかなど、世間から離れていく感覚になっていった。

走っているおかげで、身体に痛みは出なかった。
雨具や靴が泥で汚れてしまい、後始末が大変だった。

2010年6月27日日曜日

おひとり様

「おひとりさま」という生き方について考えてみようと思い、『男おひりとさま道』という本を読んだ。
図書館で借りる予定が、予約者が多数いたため、職場の人から借りた。

期待していた内容とは違っていた。
不安解消の術などではなく、資料データや具体例など事実的内容だった。

半年ほど前、カンセリングで「昆虫のように生きたい」と話したことがある。
昆虫のドキュメント番組を見て、そう思った。
生命の営みを当然のごとくやってしまう昆虫ってすごいと思った。
子孫を遺すために操られているのではないかと思うくらい、あっさり生きている。
繁殖するための知恵などは遺伝子情報に組み込まれているのだろうけど、あまりにも不思議すぎる。

生命は変化しているから、「刻まれた遺伝子」と「刻みこむ遺伝子」があるのだと思う。
27年間生きて、何かしら刻むこと、後世に遺したいものができたのだろうか。
伝えたいことあるのだろうか。
自分では確認できないことかもしれない。
やはり選ばれた者が子孫を遺すよう、世の中そういう風に出来ていると思う。

2010年6月20日日曜日

手待ち

この1年は、日常的な苦しさよりも将来を考える苦痛が強い。
先のことなど考えたくないし、考えても仕方ないと思いながらも、ついつい考えてしまう。
今考えておかないと、後で大変な思いをするかも。

何をして生きるかをしっかり考えたいと思う。
結婚をしない限り、この先ライフイベントは親の介護ぐらいで、何も無い。
こうなると何のために生きているのかわからなくなる。
何かやりたいことが見つかったとしても、それをやって何になるのだろうと考える。
全て無駄。
私は個人的趣味で人生乗りきれるとは思えない。
人にもよるし、そのおかれている状況にもよると思うが、自分には無理だと思う。
「生きる意味」と考えると難しい。
「生きる目的」としたほうが、テーマが少し易しくなる気がする。

健康は大切だと思うが、何のために健康を維持するのかがわからなくなってきた。
健康そのものが幸せってこともあるだろうけど、何が幸せなのか。
例えていうなら、「リラクゼーションが楽しみ」ということか。
癒されることが幸せになってしまうような。
癒されて元気をもらい、その元気で何かをして幸せを感じるより、疲れを取ることが幸せ。
本末転倒というか、何が目的なのかよくわからないことが多すぎる。
お金を貯めるのもよくわからない。
月給だけでは購入できないもの購入するため、万が一に備えるため、などあるが、今の私なんかは何のためにお金を貯めているのかわからない。

人生、常に何かのための準備をしているようで、生きている実感がない。
私は一体何を期待しているのだろう。
私の人生、目的地までの電車の中と同じ。
病院の待ち時間と同じ。
いつになったら目的が訪れるのかわからない。
ひたすら意味もわからず、待ち続ける。
無駄だと感じつつも、待つしかない現状に疲れる。