3月はいろいろあったはずだが、あまり思い出せない。
職場に好きな女性ができ、その女性と村治佳織のギター・リサイタルに行った。
付き合いたいとは思わなかったが、想いが募り苦しくなったため想いを伝えた。
いい返事はもらえなかったが、自分の気持ちを解消するために行ってしまったようなものなので、それほどダメージはなかった。
生のギターの音色は美しく、隣に好きな女性がいることを忘れさせ完全に私は音に酔ってしまった。
久しぶりの快感を脳が喜んでいるのがよくわかった。
しばらくそういう思いをしていなかっただけに、脳も驚いたのだろう。
あの夜は心地よかった。
快楽物質で脳が満たされていて「生きていればこういう幸せもあるものだ」などと珍しく前向きな気持ちになれていた。
翌朝になるともう快楽物質はなく生の音も思い出せなかったが、思い出としてはしっかりと残っている。
あと3月何があったんだろう。
とりあえず、ギター・リサイタルを境に一気に精神状態が悪化した。
ギター・リサイタルを楽しみに生活を送っていたので、それが終わってしまい楽しみがなくなってしまった。
診察中心からカウンセリング中心に切り替わったのも悪化の原因だと思う。
カウンセリングは期待以上にいいものでこれからも継続的に受けるつもりだが、カウンセリングを受けるたびに悪化していく。
今まで薬のおかげで何も考えられず機械的に生活していたが、カウンセリングを受けると霧の中で見えないようにしていた問題に出会うことになり、苦しみと向き合う時間が増えている。
カウンセリングで私がずっと苦しんできた理由がはっきりわかった。
私自身それに気づいていたつもりだが、まさかそんなことはないだろうと疑っていた。
きっと皆も私と同じような考え方の基に人生を送っているに違いないと私は信じていたが、それがどうやら違っていたようだ。
私のような人間は地球上でも少数で、日本においては更に少数派らしい。
精神世界を精神世界で語ってもわかりにくいので、windows使用に作られた世界をmacで生きているようなものだと解釈している。
この解釈はけっこう的を射ているとカウンセラーに言われた。
あとは皆が平気で入れる温度のお風呂に私が入ると肌が爛れるとか、有害サイトがひそむインターネットをセキュリティソフトなしで巡回するようなもの、などなるべくわかりやすい例に置き換えて解釈している。
私が抱えている苦しみや不安なども皆同じくらい感じているうえで逞しく生活しているものだとずっと思っていた。
私は強く生きられない自分を能力が足りないとか、努力が足りないなどと責め、自分のようなくだらない人間はいないほうがいいと思っていた。
カウンセラーに大多数に人と違うタイプと言われ、はじめから周りの人と違うということが認識できたおかげで、少し責める気持ちが弱まった。
でも、徐々に孤独感が強まり絶望的な気持ちになった。
助けを求めたところで多くの人には理解されない苦しみと知ることで、とても生きるのが辛く感じられた。
自分が多数派とは違うことを知ったことだけでは解決にならない。
多数派向けに作られているこの世界で生きることが辛いことに変わりはない。
仲間が少ないから辛いというわけではない。
大多数の社会と関わることが辛い。
社会とは関わりたくない。
そうすれば自分の殻に閉じこもり、自分を守ることができる。
生き難いこの社会にいかにして順応していけばいいのかを考えることは、1つの解決策だが、無理だと思う。
今までそうしてきたつもりだし、それでパンクしてしまったのだからこれから先のこと考えると何度パンクするのかわからないので怖い。
自分のようなタイプが活躍しやすい場所を探すのが最善策に思えるが、難しい。
水を得た状態になれる環境がどこかにあるはずなのだが、砂漠で水を探すようなものか。
外部からの情報は多数派向けにつくられているため、それを当てに行動していたらいつまでたっても水は見つけられないなあ。
いったい何を頼りに探せばいいのか、まずこれを探さないといけない。
3月下旬からはまともに仕事をしていない。
連日、早退か遅刻か休暇をもらっている。
今も続いている。
異動はなく、今年度も同じ仕事をするが自分が変わらなくても周りが変わっているのでまた違う。
3月で私のことをよく面倒見てくれた2歳上の同僚が退職したのはかなり痛い。
私は職場ではこの人としかほとんど話さなかったので、けっこう孤独を感じている。
数少ない理解者がそばにいないのは寂しい。
この人とは頻繁にメールをしている。
これからはskypeで連絡を取り合うことになっている。
想いというのは言葉にするよりもすごい勢いで湧いてくるため、意図的に思考を遅くしないと負のスパイラル状態に簡単になってしまう。
人と話すことで落ち着くのは、思考回路以外のことに気が回る状況下にあるからだと思う。
文章に書いたりして落ち着くのは、やはり文章を書くことに意識が向かうからだと思う。
そんな理由でけっこうメールなどはやっいて、その時その時の思いを思いつくままに書いている。
書いているうちに頭の中が整理されてきて、最後のほうになると書き出すものがないような状態になっている。
これが文章を効果だと思っている。
メールの相手は退職した元同僚だが、返事などは求めずただ私が書いている。
向こうは私がどういう状態でどういう意図でメールをしているのかわかっているので助かる。
タイピングをすることが多くなり、自分の語彙の少なさに気づいた。
飽きれるほど少ない。
自分の気持ちや思っていることを的確に表現できないことが、若干のストレスになっている。
語彙が豊富な人に憧れを持っていることもあり、少し言葉の勉強でもしてみようかと思っている。
そんな折、仕事の帰り道で図書を借りられる場所を知り、早速利用している。
いわゆる街中の出張所。
ネットで予約をして予約した本が出張所に届いたら、メールが来ることになっている。
なんて便利なんだろう。
図書館は最大のレンタルショップ。
県の図書館と市の図書館を利用すれば、大体の本は借りられる。
借りた漢字の本が数冊手元にあるが、借りたことに満足してしまい読んでいない。
とりあえず適当に目を通して、気になるものはまた後で借りることにしよう。
せっかくこうしてブログを書いているので、図書館で借りて良かったなあと思う本は記録として載せていこうと思う。
こうして長々書いていると本来の目的が忘れることができて良い。
苦しみを書いているうちに、内容が他のほうへ飛んでいくことがある。
これは文章を書くのが下手なおかげと、徒然に書いているおかげなんだと思う。
ほか3月何かあったかなあ。
父が早期退職した。
1年早く退職した。
ああ、あと半年振りにケータイを持った。
ケータイを持った理由は記録のため。
思いついたことをその場で書いて、自分の歩みを記録しようと思ったため。
通信機として利用する気ないので、メールはできないようになっている。
とりあえず電話は使えるが使う気がないので、常に電波を受信しないモードにしている。
2年間の月額使用量を払ったら、解約するつもり。
オフラインの地図などをケータイに入れたり、青空文庫を入れたりしてケータイを活用している。
兄は未だ無職。
年齢的にも今年度で30歳になるので厳しい。
求人率が低い状態ではあるが、兄は職を選好みしている。
わがままはいえない社会情勢ではあるが、働くことは単に生活するためだけのものではないので、気に入った会社を受けてもらいたい。
焦って変な会社に入って、また無職状態になるくらいだったら、1年くらい自分を見つめなおして先30年くらいの計画でも立てたほうがいいだろう。
ネットで簡単に馬券を買うことができることを知り、早速やった。
当日に申し込んですぐさまできたのは驚いた。
しかも適当に500円かったら3500円になって戻ってきたので更に驚いた。
週1の楽しみとして、競馬をやるのは悪くないだろう。
頭文字Dのゲーセン最新作が出たのでやった。
今までは順番待ちをすることがほとんどだったのに、不況ということでプレイヤーがいない。
ゲーム自体は前作よりいいと思う。
前作とは違った操作感で戸惑うが、次第に思うようにコントロールできるようになっていく過程に喜びを感じる。
リアルさがましている。
相変わらず他のレースゲームと違ってスピードが異常だが、曲がり方なんかは相当難しくなっている。
不況の中、ろくに働きもせずゲームをやるのは申し訳ないので、なるべくやらないようにしている。
ブーストの効果が強すぎて、全国対戦やる気になれない。
基本ブーストなしで、両者が意思が一致したときのみブースト・オンにしてもらいたい。